えひめ町並博2004 大洲コアイベント
思ひ出倉庫特別展 少年・松本零士展
場所:愛媛県大洲市 大洲レトロタウン(おおず赤煉瓦館・ポコペン広場・思ひ出倉庫)
開催期間:2004年7月17日〜9月20日
主催:愛媛県町並博2004実行委員会
訪問日:2004年7月17日
■初の宿泊遠征で強行スケジュールを敢行
丸1年ぶりのイベント参加に意気揚々としてしまった。おまけに今回は初めての宿泊を伴う出張イベント参加なのだ。ただ、7月17日(土)の朝10時半からのオープニングセレモニーに間に合わせていくには、朝早く(深夜?)に出発しなくてはならないのが難点だった。ありがたいことに、今回は車掌さんやプチメーテルさんと同行することになったので、愛知組の車掌さんの車に便乗させてもらうことに。AM3時半ごろ、予定より少し遅れて大津で合流。さすがに寝不足なので辛いが、車掌さんたちはもっと早くに出てきているので文句は言えまい。。。
名神〜山陽道〜瀬戸中央〜松山道の順で大洲に向かう。車内では銀河鉄道物語のDVDを鑑賞しつつ気分を盛り上げていくことに。途中、香川県内のSAでうどんをすすったあと、愛媛県内のSAでは今回のイベント関連のチラシを物色。このあたりは疲れもピークに近かったか。
■松本零士先生の出迎え
予定の時刻通り、9時半過ぎに現地に到着。赤煉瓦館に近い「まちの駅あさもや」に車を止め、赤煉瓦館に向かった。赤煉瓦館の2階は松本零士先生の控え室にするらしく、喫茶コーナーは利用できなかった。その後、しろさんとデスラーさんが合流。その合流直後にタクシーに乗った松本零士先生が赤煉瓦館に到着。ラッキーなことに5人で松本零士先生を出迎える形になった。特にマネージャーらしい人が付いている訳でもなく、ごく自然に「どうもこんにちは」と言いながら笑顔であいさつを交わしてくれた。突然のことだったのでメンバーも少し戸惑い気味だったか(笑)。セレモニーまではまだ時間があるので「まちの駅」に戻って少し休憩することに。
予定時間近くになってもあまり人がいなかったので少し心配していたが、会場は赤煉瓦館の隣の「ポコペン広場」だった。そちらにはすでに大勢の人たちが押し寄せていた。場所を間違えていたおかげで先生を出迎えることができたんだけどね。会場に来ていた人は大多数が地元の人と関係者、そして報道陣。あまりファンの姿は見られなかった。
■大洲レトロタウン オープニングセレモニー
10時半になり「大洲レトロタウン」オープニングセレモニーが開幕。大洲市長やら愛媛県知事代理やらが参列する中、いよいよ松本零士先生のあいさつに。今回の先生のお話はいままでのイベントにおけるものとはかなり内容が異なるものだった。というのも、ここは先生が少年時代に過ごした故郷。会場にも幼なじみがたくさん来ておられたようなので、昔話に花が咲く。家族のこと、戦時中のハプニングのこと、親友の「卓ちゃん」との思い出話、そして子どものころ遊んだこと。いつもあまり見せない笑顔で楽しそうに話していた(こちらにその一端が紹介されています)。そんな中、いつものように爆弾発言が飛び出す。「ここ大洲を舞台にした物語をこれから始めます。今日は契約書を引き伸ばしたものを持ってくるの忘れましたけど。最終的には映像化する予定です。」また新しい作品に手を付けるようだ。関係者の話によると時代劇調の内容になるそうだが。しかし、新作も良いけど、継続中の作品を早く仕上げてもらいたいのだが。。。
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あいさつをする松本零士先生 |
いつもにない笑顔の松本先生 |
昔話が続く |
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絶好調の松本先生 |
意外と短い10分程度の話し |
セレモニー会場 |
いつもより短い10分ちょっとのあいさつの後、松本先生から大洲市への「大洲筒(銃)」の贈呈式が行われた。さらに、大洲市から松本先生に感謝状の贈呈式も合わせて行なわれた。しかし、ここでもただの贈呈式の終わらず、松本先生の話が止まらない。大洲筒の解説が続く。
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大洲筒の贈呈式 |
松本先生への感謝状 |
大洲筒の解説をする松本先生 |
■少年・松本零士展テープカット
このあと、少年・松本零士展が行なわれる「思ひ出倉庫」に移動してテープカットの儀式が行われた。思ひ出倉庫前には多くの報道陣がすでに陣取っていたため、写真を撮ろうにも場所がなかった。しかし、何とか一番前のカメラマンの三脚の間に潜り込んで撮影することに成功した。このあと、松本零士展の建物に先生と報道関係者が入って行ったが、30分くらいなかなか出てこなかった。おそらくまた長い話が繰り広げられていたに違いない(笑)。
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テープカット前の記念撮影 |
テープカット |
特別展オープン |
■鵜飼い遊覧船〜松本零士先生との接近
そして松本零士先生はこのあと、大洲の鵜飼い船乗り場へと移動。このときは報道陣も少なくなり、関係者くらいしかいなかったが、あとに付いて行くことに。船着き場につくまでの間にデスラーさんは松本先生にサインをもらっていた。そのあと、町並博プロデューサーの宮本氏の粋な計らいにより、松本先生と記念撮影をさせてもらった(このとき車掌さんは土手の上から写真を撮っていたために記念撮影には参加できず。車掌さんがスネたことは言うまでもない)。みんなで手を振って船を見送った。ちゃんと先生も手を振り返してくれたのがうれしかった。40分ほどの遊覧に出かけている間、だれが何という訳でもなく、炎天下の中、松本先生の帰りを待ち続けた。
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遊覧船乗り場に向かう松本先生 |
遊覧船オープニング |
乗り込む松本零士先生 |
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松本零士先生とプロデューサー |
船内の松本零士先生 |
遊覧船と大洲城 |
船が帰ってきてから、先生にサインをお願いした。時間がなくて急いでいたが、快く応じてくれた(感謝!)。時間がないとのことだったのでサインだけで良かったのに、「歩きながらは難しいんだよねー。」といって立ち止まってメーテルイラストも描いてくれた。先生の知り合いの女性が日傘を差して陰を作ってくれたのも田舎ならではの気持ち良い出来事だった。そのあと、メンバー全員にもサインをしてくれた。
このあと、松本先生一同は近くの料亭に足を運んだ。さすがに同じ店に入ることはできなかったので松本先生とはここでお別れ。充実した時間をありがとう!
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みんなでサインをもらう |
街を歩く松本零士先生 |
おはなはん通りにて |
■少年・松本零士展の見学
この後、大洲の町並みを観光して、昼食を食べた後、今回のメイン展示である「少年・松本零士展」をようやく見学。内容はあまり多くなかったが、館内に入った正面に、午前中に贈与式があった大洲筒が展示されていた。あとは、町並博のポスター原画や一連のシルクスクリーン作品、メーテルと森雪の等身大?フィギュアなどが展示されていた。パネルも数々展示されており、シーボルトの孫娘の高子の解説などもあった(メーテルのモデルの一つと言える)。その他は、「親不知讃歌」に収録されている大洲を舞台とした子どものころの体験作品「昆虫国漂流記」が大きなパネルで展示されていた。多くの資料ではなかったが、地元ならではの資料が多く、今までにない展示内容だったので参考になった。
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大洲の町並み |
イラストの描かれたバスも |
大洲筒の展示 |
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ポスター原画 |
ポコペン横丁 |
懐かしの昭和レトロ |
■その後
昼過ぎに松山に向けて出発(途中、大洲IC近くの宮脇書店にて松本先生のイラストが描かれている愛媛県観光ガイドを購入。)。夜は道後温泉でくつろいだあと、繁華街で夕食会に。次の日は朝から再び道後温泉に浸かったあと、松山市内観光に(関連グッズ・チラシの物色も兼ねて)。ほとんど坊ちゃん列車を追いかけるだけで終わってしまった。15時半ごろ、しろさん、デスラーさんと別れた後、高松に向けて出発。高松で少しくつろいで、私はバスにて大阪に向けて帰路につく。何とも慌ただしく、強硬なスケジュールだったが、松本先生との貴重な時間を過ごすこともできたし、内容的には大満足できた今回の出張イベントでした。
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県庁で見つけたペイントトラック |
運転席側の側面イラスト |
助手席側の側面イラスト |
→参考ムービー「動画に見る県政情報(愛媛県)」
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